自然に寄りそう/16
家族豊かな空間にしていくために



 このコラムを執筆するのも今回で最後となりました。私の自宅は2回目のコラムでも紹介しましたように、95年の震災によって倒壊しました。その後の再建では、私たち家族のさまざまな夢と、用意できる建設資金との調達に悪戦苦闘しながら、身近にある自然の恵みを住まいに取り込むことに予算を優先的にあてていきました。

 その一つに、屋上菜園があります。自宅部分は木造2階建てですが、中庭を挟んで南側はコンクリート造り2階建てで、1階がガレージ、2階が私の仕事場、そして屋上が厚み50センチの土を載せた屋上菜園になっています。ガレージ下の基礎部分を利用し、雨水槽も設けました。

 毎年土を耕し、蓄えた雨水をまきながら、野菜を育てています。手入れを怠ればすぐ雑草だらけになってしまいますが、トマトやナス、キュウリ、豆類などが雑草の中にその実を点在させています。住まいにおいて土をいじり、野菜という命あるものを得て、家族で食するという一連の行為の中に、身と心が癒やされていく思いを感じます。

 屋上菜園に上がるには、コンクリート製の外階段を利用します。私はその外階段を、亡き人とのつながりを願って設計しました。95年の1月17日の朝、天空へと飛びたっていた娘、百合への思いを、外階段を一段一段上がるごとに伝えようと考えたのです。

 今から9年前の夏の終わり、建設中の自宅をある友人がたずねてきました。外階段はすでに出来上がっていました。彼はその階段を眺めながら「ああ、百合さんがあの階段をつたって地上におりてこられるのですね」と言ったのです。彼の言葉は私の思いをそのまま伝えてくれていました。それを聞いた時の感動は、今も忘れることはありません。

 亡き人とのつながりを願う、あるいは亡き人と接するとでもいうのでしょうか。そういった祈りの空間は住まいの根源的なものの一つだと思っています。また同時に、家族がともに居る場所であり、命を育(はぐく)んでいく空間であることも、根源的なものの一つであると思います。これからもそんな根源的なものを見つめながら住まいを設計していこうと考えています。

 震災から10年がたちました。屋上菜園はもう少し手入れをする必要があります。来年こそはと思いをはせながら、住まいとの年月を重ねていきたいと思っています。

=建築家、中北幸

top
back